フレッツ光なのか

最近、建物が取り壊されているのを見ると気になって仕方がない。とくに古い建物だと尚更だ。
どんな物にも魂が宿っていると言っていた人がいたが、私もそう思ってしまう。人が住んでいたり働いていた場所なら、そこでは数々の人間たちのドラマが繰り広げられたはずだ。そんな人間たちが持っていた業が染み込んだ建物を簡単に壊していく姿を関係者が見たら、やはりつらいはずだ。私だったら耐えられない。

最近は、古民家を再生してカフェとして利用することが多いようだ。私の家の近くの街でも、やはり神社仏閣と共に、街並みの中に古民家を再生した飲食店を見かける。
決して壊す必要がないぐらい、しっかりとした建物をあえて新築物件に建て替える必要性を感じないのだ。

ヨーロッパを旅すると、街中には歴史的な風情を感じる建物がほとんどだ。以前から建築されていたものをリニューアルして利用するのが当たり前なのだろうか。フランスのパリ市内では、景観維持を前提にして無秩序に建築許可が下りることは、ほとんどないらしい。

日本では、建設業が基幹産業となっていて、街並みは常に破壊と再生を繰り返すことで景気を支えているのだから仕方がないのは分かる。だが、あまりにも節操なく、やり過ぎている気がしてならないのだ。それは、家だけではなく学校や病院、役所など全てにおよぶのだ。

今では、自分の思い出の場所を知ることは簡単になった。インターネットの発達は、すばらしい。地図上の行きたい場所をワンクリックするだけで最近の様子を画像で見ることができてしまう。生まれ育った街、通っていた学校、友達と遊んだ場所、好きだった人の家の前まで何の躊躇もなく訪れることができるのだ。
私のように生まれ育った家を離れて何年もそこに帰っていない人間でも、いつでもネット上で里帰りを疑似体験できてしまう。

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